パソコントラブル

 それは、起業してまだ間もない頃のことだ。暖かい日が続いていたのに急に冷え込んだ冬の日の午後。藤田が所用で出掛け、俺と御堂はふたりっきりだった。
 俺たちはそれぞれの席に着いて、静かに熱心に書類を作成していた。

 俺は企画書を作成しながら、カタカタというタイピングの音が時々重なり合うのを聞くともなく聞いていた。だが、ふと気づくと御堂の打つ音がしない。顔を上げ、見ると御堂は腕組みをして不機嫌な顔でパソコンのディスプレイを睨みつけていた。
「御堂さん、どうしました?そんなに睨んで……眉間にしわが寄ってますよ」
「む……いや、パソコンの具合が……藤田が戻ってくるまで、作業が進められないと思うと難しい顔にもなるというものだろう」
 どうやら、御堂のパソコンに不具合が出たようだ。
 だが、どうして藤田の帰りを待つ必要があるのか?俺は疑問をそのまま口にした。
「なんで、藤田です?」
「なんでって、三人きりで……ここにはシステム課とかないじゃないか。業者に連絡してもいいが……」
 パソコンのトラブルに見舞われた時に御堂が頼る相手に俺は入っていないようだった。憮然となるのを押さえて殊更、にこやかに提案してみる。
「俺が見ましょうか?」
「えっ?君に解るのか?」
 疑わしそうな視線を向けられ、御堂の中で俺がパソコンに関して御堂同様、ひと通りできるがそれ以上ではないと位置付けられていることを知らされる。何という事だ。俺は辛うじて舌打ちをこらえた。ここは何としても恰好よくスマートに問題を解決して『佐伯はパソコンのトラブルには対処できない』という御堂の思い込みを撤回させ、信頼を勝ち取らねばならない。
「御堂さん……俺のこと藤田以下って思ってますね」
「うっ、いや、だが……」
 眼鏡のブリッジに指をやり口許を歪めて笑みを浮かべると御堂が視線を泳がせる。
「それで、どれです?」
「あ、ああ、これだが……」
 俺は身を乗り出してマウスに手を乗せ、ディスプレイを覗き込んだ。御堂の説明を聞きながらマウスを動かす。幸いなことにたいしたトラブルではないようだ。
「ここをこうして……ここは、これで……どうかな。ああ、これでいい」
「…………」
 御堂の視線がディスプレイから俺に移動したことを頬に感じる。
「なおりましたよ、御堂さん」
「…………」
 振り向くと御堂は俺に熱い尊敬の眼差しを注いでいた。ほんのりと染まった眦に見開いた瞳と半開きの唇、愛しい可愛い恋人が息を軽く弾ませて俺を英雄を見るような瞳で見ている。
「御堂……」
 たまらず、艶やかな唇に俺はキスをした。
「あっ……んんっ……んは……ちゅ……」
「ただいま、戻りましたー!!」
「うわぁあっ!」
 藤田の帰社の挨拶に驚いた御堂が悲鳴を上げて俺を突き飛ばす。俺はとっさに後ろに下がって無様にひっくり返るのを回避した。
「お……お帰り、藤田!早かったな。そ、外は寒かっただろう!」
「はい、御堂さん。予定より早く戻れました。外、ホント寒くて、ほっぺが赤くなってしまいましたよ。あれ?御堂さんも赤いですね」
「えっ、や、違っ……あっ、これは、その」
 しどろもどろの御堂が俺に助けを求める視線を送ってきた。
「ここのところ暖かかったからな。今日はよく冷えているから、空調が昨日のままだと少し肌寒い。だから、御堂も寒くて赤くなってる」
「そ、そうだ、私も寒い。もちろん、藤田、君ほどではないが」
「いえ、俺は……御堂さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。心配ない。それより、藤田。佐伯もパソコンをなおせるぞ」
「そうなんですか?」
 誇らし気に語り出した御堂に俺は気をよくして自分の席に着いた。
 企画書の作成を続けながら、俺は御堂の弾む声に包まれて甘い幸福感に満たされていった。

3月10日御堂さんの日記念SSです。1日遅れてしまいましたが……
御堂さんはパソコンもエンジニア並!かもですが、ここではMGN時代やL&Bでデータの入力や企画書のパソコンでのレイアウトなどは秘書や部下に任せてきた御堂さんな感じになっています。御堂さんの日なのに作中の日付を3月にしなかったのは3月ならもう御堂さんは佐伯のスキルを知ってるだろうと思ったからです(*´ω`)